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忘れる、のか…?(3)
初めての計画停電の夜、何をしていいかわからず、
携帯端末に入れたコブクロを聴いた。
充電式のちいさなLEDライトを灯して、
カドカワのコブクロ特集本を引っ張り出して読み返した。
が、歌詞も文字も、ことばはあまり頭に入ってこない。

ほんの3時間程度なのだから、黙って仮眠でもしていればいいのに、
わざわざ充電した電力を消費して。
溺れそうなとき、ひとは日常性にしがみつくんだな、と感じながら。
 
ただ、暗闇の中で聴く二人の声は、少し違ってきこえた。
息継ぎが妙になまなましかったり、
「あれ? ここってこんな発音の仕方してたっけ?」と
思うところが、いくつもあったりした。

生きてきこえた。チケットを買って足を運んだライブよりも、
一層、「ライブ」だったような気さえする。


二度目の停電の夜を迎える前に
ごちゃごちゃの本棚から辺見庸さんの『もの食う人びと』を
探し出しておいた。
『単独発言』以来、辺見さんは憧れの人であり、
しかし私はアホで、まったく良い読者とはいえないのだけれど、
いろんなことがいやになってしまったとき、この世のどこかで
辺見さんみたいな方がお仕事をされてる、と思うだけで
気持ちが安らぐようなところがある。

『もの食う人びと』に、チェルノブイリ訪問記が含まれていたことを
思い出したのだ。「禁断の森」という章。
何も停電の夜まで読まずとっておく必要はないのだが、何だかそうしたくて、
LEDの灯りで、久しぶりに読み返した。

「マイクロシーベルト」なんて単語が何度も出てくる。
この言葉が、日常世界に溢れる日がくるなんて、思いもしなかったな。

石棺の傍に立ち、原発職員食堂で労働者に混じって昼食をとり、
立ち枯れて消えた森のそばを通って、実験農場へ。
その後、原発から20km圏内、30km圏内の村々を巡り、
禁を犯してそこに戻って生活している老人たちとともに
食事をし、酒を飲み、言葉を交わしていく辺見さん。

「日常とはなんと平穏でそら恐ろしいものか。」

石棺のコンクリートの劣化は進む。
「危険地帯の老人たちは、それでも、ものを食う。食べてその日の命を紡ぐ。/チェルノブイリの森の沈黙。静止した観覧車。/風景が黙示しているものの深さ、恐ろしさが、私には見えるようで、まだ見えていないのかもしれない。」
と、文章は結ばれている。


私の「日常」。チェルノブイリの老人たちの「日常」。
生きるための、いとなみ。

私の目に映る風景。
いつもの春と変わらず、明るい陽光の下、咲き誇り舞い散る桜。
町に、少し戻ってきた、夜の灯り。
バラエティ番組だって放映され始めた。

でも、もう前と同じようには見えてこない。

一方には、被災地の写真があって、動画があって、
アップしてくださっている方々がいて。

何が起こったのか、決して忘れないよう目に焼きつけておこうと思う。
でも、撮影主やアップロード主に9割9分以上、感謝しながら、
砂粒ほど、蹂躙された被災地が、更に、
見られることで凌辱されているような痛みが走り。
そして、凌辱している張本人が自分である、という疚しさが
いかんともしがたい。

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やっぱりまた、最後まで書ききれませんでした。
なんか、長くなっちゃってすみません。。
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