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忘れる、のか…?(5)
辺見庸さんの「置きざりにされた記憶」
(「日本経済新聞」朝刊、2011.3.21)には、こうも書かれていた。
廃墟では「椰子の実」が聞こえない代わり、
お父さまが昔よく歌っていた、映画「渚にて」の主題歌である
「ワルツィング・マチルダ」の合唱が聞こえる、と。
 
「ワルツィング・マチルダ」自体は、すぐにネットで聴けた。
オーストラリアの第二の国歌といわれるくらい親しまれている歌だと
その時知った。
でも、辺見さんが「渚にて」(1959年)の主題歌だとおっしゃっていることが
妙に気にかかって、どうしても映画が見たくなった。
あいにく近所のレンタル屋にはなかったが、
定価¥2,900のDVDが、Amazonにて¥1,000。
即、ポチる。

第11回ブルーリボン賞(1960年度)の外国映画賞を受賞している作品らしいが
まず、設定に驚く。
ケースには、こんなふう↓に書かれていた。
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渚に静かにしのびよる人類最後の日
スタンリー・クレイマー監督が描く地球の終末―。

1964年、第3次世界大戦―核戦争―が勃発。世界全土に放射能汚染が拡がり、南半球のオーストラリア周辺の一部を除いて、人類は死滅してしまった。本国に帰港できなくなったアメリカの原子力潜水艦はメルボルンに入港するが、その地にも死の灰は迫っていた。そんな時、潜水艦の艦長タワーズは解読不能の無電を傍受した。発信地は全滅したはずのアメリカ。果たして生存者がいるのか…。
-----

辺見さんは、記事の中では一言も、福島原発のことを
見える形でわかりやすく触れてはいらっしゃらなかったけれど、
やっぱりそういうことだったのか、と思う。(違っていたらごめんなさい。。。)
そういえば前にどこかで、辺見さんのお父さまが
福島の新聞社で、長く記事を書いていらっしゃった、と読んだこともある。

長い映画(135分)だが、原発が危機的状況にある今、
一瞬一瞬がゾッとするほどなまなましくて、
「長い」などと感じる余裕は、私の場合、一切なかった。
こわくてたまらなかった。

(ここから、ストーリー紹介[※ネタバレだらけ]です。)
舞台はメルボルン。
若い夫・ピーター(「サイコ」に出る前のアンソニー・パーキンス)が、
赤ん坊のため、哺乳瓶にミルクを作り、
ベッドの中の妻・メアリー(ドナ・アンダーソン。初めて見たが子猫っぽくて可愛い)
のもとにお茶を淹れて運ぶ、しあわせそうなシーンから始まる。

海軍大尉であるピーターには、アメリカの原子力潜水艦に
連絡士官として搭乗する任務が与えられる。

艦長のドワイト(グレゴリー・ペック)は、
核戦争の末に北半球が丸々滅亡した際に、妻子を失っている。
彼をもてなすのが、ゴージャスな美女・モイラ(エヴァ・ガードナー)。
愛を育む時間さえない二人の関係は、美男美女による見映えのいい恋というより、
ぬくもりに飢えた孤独と孤独による、「恋」という仮面をかぶった
せつない営みに見える。

老科学者・ジュリアン(踊らないフレッド・アステア!)が素敵で、惹かれる。
彼は、かつてモイラと恋愛関係にあったらしいが、
今は彼女の誘いを、優しく、しかしきっぱりと断る。
購入したばかりのフェラーリで、のち、彼は危険なカーレースに身を投じ、
みごと優勝。
そして結末近く、放射能汚染がひろがって、政府の配る安楽死の薬を求め
人々が列をつくるとき、
(このシーンは、辺見さんの「標なき終わりへの未来論」
〈「朝日ジャーナル」2011年3/19号〉の末尾にあった、
安楽死のための、オピオイドルミン1ミリグラムの糖衣錠を想起させる)
ジュリアンはひとり、ガレージの隙間をふさぎ、
中で愛車のエンジンを激しくふかして、微笑みつつ、排ガスに包まれていく。

部下たちが、最後の日を母国で迎えることを望んだため、
ドワイトはアメリカに帰らねばならない。
去りゆく潜水艦を、岬から見送るモイラ。

誰もいなくなった街に、かつて集会の際に掲げられた横断幕が残っている。
「兄弟たち まだ時間はある」
東西冷戦下にあった時代、この言葉はそのまま、
映画を見る者へのメッセージへと転じられていくような形になっており、
つい最近までの、平和ボケした私なら、このシーンを、
若干ベタだと思うだけで済ませ、すぐに忘れてしまったかもしれない。
が、もうこの先、望んでも忘れられそうにはない。


悲劇的な結末の少し前、
大勢の人たちがピクニックをし、魚を釣り、つかの間、楽しく過ごす。
その時、皆が合唱するのが「ワルツィング・マチルダ」。

つまり、廃墟で「ワルツィング・マチルダ」の合唱を聴く、とは
死者の声、生きていたときの、その命の声に耳を傾ける、ということであり、
それは、彼らが生きていたことを、無かったことにしない、絶対に忘れない、
ということなのではないだろうか。


追記
「ワルツィング・マチルダ」とは、
ワルツを踊るマチルダ、という意味ではないらしい。
ワルツとは「さまよい歩く」という意味で、
貧しい男が、マチルダと名付けた毛布を持って放浪し、
最後は沼に飛び込んで死ぬ、というストーリーを、この歌は持つ、と
いろいろなサイトに書かれていた。
Wikipediaにも、同様の説明あり。)


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あと最後に、昨日見た辺見さんの番組のことを
自分の今後のためのメモとして書きとめておきます。
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